改組 新 第2回(平成27年度)日展

日展×文学
~日本の美と若手作家のコラボレーション~ 座談会

今回コラボレーション作品を執筆した5名の若手作家に、日展会場をご覧いただいた後、展覧会の感想や美術作品から得られるインスピレーションについてお話しいただきました。

文学作家
田丸雅智(日)・神野紗希(洋)・文月悠光(彫)・佐藤文香(工)・木村綾子(書)

日展作家(アドバイザー・各科係主任)
渡辺信喜(日)・根岸右司(洋)・柴田良貴(彫)・三田村有純(工)・一色白泉(書)

日展から発見したこと。

──今年の日展をご覧になって、いかがでしたか?

神野 紗希(俳人):私は第2科の洋画を担当しました。
展示作品は、その一枚一枚がそれぞれの作家が全力で描いたものですから、それらと向き合おうとすると非常に体力を使います。
洋画は、日本画に似た薄塗りの作品もあれば、写真に見えるほど写実的な作品、抽象画など様々あり、それらのタッチの違いが面白いです。どう絵の具が乗るかで、その絵から風を感じたり、砂を感じたり、描かれているものの質感が伝わってくるのかを観て楽しみました。画集や絵葉書ではなく、近い距離で生の絵画を観る醍醐味ですね。

佐藤 文香(俳人):私の担当は第4科の工芸美術です。
作品の素材もサイズも本当に多様で、圧倒されました。置かれているものも、壁にかかっているものもあって、はじめはどこから見ていいのやら混乱していたのですが、三田村有純先生に、「工芸素材」と「工芸技術」とで作品を分類することを教えていただきました。これは漆をつかった作品、こちらは鍛金という技法、と見ていくことで、その素材を選び、その技術によって、こういう作品になったのだ、と納得できるようになり、そうすると作品のよさが体に入ってくるようになりました。

文月 悠光(詩人):私は第3科の彫刻を観ました。これほどたくさんの彫刻作品を一度に観るのは生まれて初めてです。

人物像は、人間の原寸大に近い作品が多いので、会場を歩いていると逆に私が作品に見られているようで、不思議な感覚でした。
絵画や書と違い、彫刻は観る角度によって随分印象が変わります。「ここから観た時に美しいな」と感じる場所を探してみたり、ポーズだけ見ると力強い像なのに、回りこんで顔を覗きこむと、さみしそうな表情をしていることに気付いたりするのも、立体作品ならではです。

木村 綾子(作家):私は第5科の書を担当しました。
他の科の作品も観たのですが、書が一番展示数が多くて驚きました。書の作品は縦に何点もみっちりと並んでいますよね。しかも、書かれているものが文字で、その意味がダイレクトに伝わってきますから、会場に入った瞬間その迫力に圧倒されました。
会場を案内してくださった一色先生は、「書は、文字ではなく絵だと思って観ると印象が変わりますよ」とアドバイスしてくださいました。

田丸 雅智(ショートショート作家):面白いですね! どういうことですか?

一色 白泉(書・会員):書は文字ですから、鑑賞される方々はよく、それを読もうとするんです。しかし、書は読んでもらうだけのために書かれているのではありません。詩などを材料にして、自分の心を紙の上に表現しようしているのです。「書は心画(心の画)なり」と言われる所以ですね。
文字を読もうとすると文学になってしまうでしょう。それでは心画としての書の生命は失われます。

──第1科 日本画を担当された田丸先生は、会場を案内していただいた日本画家の佐々木曜先生に色々と伺ったそうですね。

田丸:30分ほど佐々木先生を質問攻めにしていました。日本画は大好きですが、技法についてほとんど知らなかったので、お話が面白くて、面白くて(笑)。
日本画に使う顔料って、同じ鉱石からできているものでも、砕き方によって色が変わるんですって。光の反射が変化するからだそうです。

渡辺 信喜(日本画・会員):岩絵具は砕いた時の粒子の大きさで14級に分かれているんですよ。細かく砕くほど淡くて白っぽい色になります。

田丸:確かに画材屋で見る顔料は、同じグリーンでもちょっとずつ違うグリーンがたくさん並んでいます。それらを西洋のやり方のように油絵のニスで溶いてしまうと、全部同じグリーン──元の岩石そのものの色になってしまうそうですね。ニスではなく膠(にかわ)で溶けば、ちゃんと砕いた顔料の色を出すことができ、それで細かな色のグラデーションを出すのは日本画だけ、というお話を聞かせていただきました。

神野:会場で日本画と洋画を見比べてみて、「透明感が違うな」と感じていたのですが、今、田丸先生が仰った濃淡についてのお話を聞いて、腑に落ちました。日本画の持つ透明感は、そういった部分にあったんですね。ボーッと観ているだけでは気付かないお話です。
日本画は深さがあり、かつ奥へ広がるイメージで、洋画は立ち上がって、迫ってくるイメージを持ちました。

一色:書の場合、かなは奥に入っていくイメージで、力強い漢字は洋画に近いイメージがありますね。

木村:私は、かな文字の書は風景に近くて、漢字ではっきりと文字を主張する書は、作品の向こうにいる作者の存在を感じ、作者の思いが伝わるような印象です。
書は筆の使い方によって線の変化をつけることができますよね。太く書けば情が伝わり、なめらかに滑らせてかすれるように書けば風の流れを感じます。そういった部分によってそれぞれ違った空気感──雨が降ってるとか、晴れてるとか、そういったことまで伝わってくるようです。

一色:書は線を引く仕事ですからね。一本の筆で髪の毛のような細い線から、太い線まで引けるのが筆です。書家たちは線をどう表現するか考え、筆、墨、紙をみなそれぞれ工夫します。紙は、厚さや、にじみやすさなどが違うものが様々あり、漉いた紙を乾燥させる工程で2枚ずつまとめて乾燥させ、それをそのまま1枚の紙とした「二双紙」や、3枚ずつまとめた「玉版(ぎょくばん)」などがあります。

美術と文学の似ているところ。

──こうした美術作品から、作品へのインスピレーションを得ることはありますか?

佐藤:難しいですね。既に作品になっているものを、新たに作品にしようとすると、元の作品に圧倒されてしまうんです。私は普段、住宅街をだらだら歩いたり、観光地ではない自然の景色を見たりして、作品を書くことが多いので。

神野:私の場合は、よく美術作品からインスピレーションを得ますし、俳句を書くために絵を観ることもあります。
俳句は、絵や写真のようなものを言葉で作ることを目指している文芸ですので、絵画に似ています。
そもそも、俳句と洋画には実は密接な関係があるんです。正岡子規が「俳諧」を「俳句」にした時に、写生という概念を持ち込みました。それまで、江戸時代末期から明治にかけての俳諧は、言葉を面白く使って「なるほど、とんちが効いてるね」というようなものが流行りでした。しかし、人が考えることって大体一緒ですから、同じような俳諧ばかりができてしまいます。そこで一旦そこから離れ、西洋絵画のデッサンの概念を中村不折から教わり、俳諧の世界に持ち込んだのです。近代になるにあたって、俳句を近代文学にしたいという考えもありました。それ以降の俳句は「写生」とか「客観写生」と呼ばれ、見たものを突き詰めて描写していくのが主流になります。
洋画がなければ、私も今、俳句を作ってはいないということになりますね。
過去にもたくさんの俳人たちが洋画を題材に俳句を作っています。阿波野青畝の俳句を2つご紹介しましょう。
「モジリアニの女の顔の案山子かな」
モジリアーニの描く女性って確かにカカシっぽいですよね。色合いも茶色いですし。 「ルノアルの女に毛糸編ませたし」
これは、「ルノアールの描く女性の編んだセーターはあったかそうだ」と詠んでいる一句です。

佐藤:描かれた人、特に女性に興味があったんでしょうか(笑)

田丸:モジリアーニが聞いたらどう思うでしょうね(笑)

神野:案外、「本当だ」と言ってくれるかもしれません(笑)

田丸:僕もそういった作品はいくつかあります。中でも、僕の一番好きなモネの作品をモチーフにしたショートショートは自分でも気に入っている一作です。(※「岬守り」(『夢巻』収録))
日本画では速水御舟(はやみ ぎょしゅう)の代表作であり重要文化財でもある「炎舞(えんぶ)」を作中に取り入れたショートショートがあります。煩悩が立ち上がってくるようなあの炎の印象が強烈で、それをイメージして場面を書きました。(※「コンロ」(『海色の壜』収録))

文月:私は周りに絵を描く人が多いせいか、絵と詩のコラボレーションの依頼を何度か頂いています。
2011年春に、南桂子さんの版画に詩を付ける仕事をやらせていただきました。ヤマサ醤油の第10代目社長、濱口儀兵衛の三男であり版画家の浜口陽三の銅版画を展示した「ミュゼ浜口陽三ヤマサコレクション」という美術館が東京の日本橋にありまして、その浜口陽三氏の奥さまが南桂子さんです。絵に詩を付けたのはその仕事が初めてでした。美術館の倉庫を見せていただき、選んだ作品3点にそれぞれ詩を書き下ろしました。谷川俊太郎さん、蜂飼耳さんの詩と共に展示され、展覧会の図録にも載せていただきました。
普段一人で詩を書いていると、自分がイメージするものを形にすることに固執してしまいがちです。美術作品とコラボレーションすることで、違う角度からヒントを貰えて、固執から自由になり、表現の幅を広げることができます。

──今回題材にする作品を選ぶ上で、印象的なことはありましたか?

佐藤:私は、「この作品を作った人と通い合いたい」と感じた作品を選びました。かといって、作品の表面にメッセージが強く出すぎていると、俳句にするのは難しく感じてしまいます。私は、メッセージを伝えたいと思って俳句を書いていないので……。選んだ中西秀典さんの「天高く」という作品にも、もちろん何かが込められているとは思いますが、意味というよりはインパクトが伝わってきて、おおっ、これだ、と感じました。
また、画面構成も大胆です。上に描かれた丸い形が、下を照らしているような……しかも左右非対称で……言葉で説明すると陳腐になってしまいますね(笑)

木村:私の祖母は、実家の離れで書道教室をやっていました。おばあちゃんっ子だった私は、祖母が机に向かって書いている姿や、祖母の書く字、年齢を問わず様々な世代の生徒さんの書が壁に貼られている光景が、今でも目に焼き付いています。
今回、書をモチーフにエッセイを書くにあたって、当時のその場所に香り立つ匂いに近いものを題材に選ぼうと考えました。会場に入ってすぐ、雨の香りが鼻をかすめるようにふと気になった作品があり、一度は素通りしたのですが、一通り会場を見てまわった後その場所まで戻りました。書かれている文字の内容やタイトルを確認し、作家の背景について聞いて、「これだ」と思いました。30分ほどで決まりましたね。

文月:会場には、美術作品として素晴らしいと感じる彫刻や、詩的なイメージを喚起される彫刻など、惹かれる作品が多くて、どんな基準で選ぶかとても迷いました。
素材によって異なるタッチや表情にも惹かれます。例えば、まどろんでいる女性を象った木彫で、彫った跡がとても美しい作品がありました。しかしその細かなニュアンスを詩で伝えるのは難しいし、写真でもディテールは見えなくなってしまうので、もどかしいですね。
私は詩人なので、最終的には、作者の方がイメージするストーリーや時間感覚が伝わってきたり、場面設定がなされている作品を題材に選びました。

柴田 良貴(彫刻・会員):今の、時間感覚のお話は素晴らしいですね。彫刻は止まっていますので、時間の感覚を表現するのは難しいですが、作品の量感が生きてくると、作品が動いているように見えます。
文月先生にはあまり作品の説明をせず、自由に観ていただいたのですが、彫刻の本質を一瞬のうちに見抜き、言葉も的確で驚かされます。
詩人の田村隆一の『言葉のない世界』という詩集がありますが、言葉の意味を否定しながら、構成だけで見せていく、その厳しさの中で何かを伝えていく考え方が彫刻と似ています。

文月:詩を書いていると、言葉の意味から逃れたいと思う時があります。ひとつひとつの言葉に付いてくる意味を剥がしたい、といいますか……。
彫刻は、モチーフを正確に表現することと、そこに自分の表現したいことを乗せること、あるいは作品を存在そのものとしてそこに成り立たせること、そのバランスが難しそうですね。

柴田:彫刻はモデルの人物をそのまま作ると駄目になります。人の形に近いけれど違う、そのぎりぎりのところで攻めようとします。「これは何だ」という違和感が強いほど、良い彫刻の場合もあります。

「日展×文学」で書きたい作品。

──文学と美術のコラボ作品を作る意気込みを聞かせてください。

文月:作品自体が抱え込んでいる空気感を詩で表現したいです。
彫刻は一つ一つの作品の大きさが違い、作品が抱えている景色の大きさも違います。特に作品の「重量感」からその違いを感じます。作品を直接手で持ったわけではないので、本当の質量のことではないのですが、素材や色味、造形の仕方によって、同じ彫刻でもどっしり地に足がついて地面から生えてくるような迫力を覚えるものもあれば、軽やかで浮遊感を感じたものもありました。
作品のタイトルも注意して見ていたのですが、風に関するタイトルが多いですね。彫刻は動きがない、止まっている状態なので、そこに動きを加えたい、風を吹かせたいという気持ちがタイトルに表れているのかなと思いました。
詩を付ける際も、停止している存在に風を吹かせ、時間の経過が伝わるような言葉を与えていきたいです。

神野:これから私たちが作品を作るにあたって、美術作品に描かれてないものに耳を澄ませる作業が待っていますね。例えば犬と子供の作品を観たとして、ただ「犬や子どもや」と俳句を詠むのではなく、描かれていないけれど実はそこにあるものを感じなければいけません。

文月:単なる説明になってしまわないようにしなくてはいけませんね。

佐藤:私の場合は、具体的に言えば、「藍」「白」や「染」、「円」など、工芸作品を見た人が直接感じられる言葉を、俳句では使わないようにしようと思っています。

神野:今回の企画のように、絵画と俳句を並べて発表することは初めてなのですが、ただ絵画からインスピレーションを得て作品を作るだけの場合とは違うように思います。二つの作品を並べて、合わさった時に、別の作品にならなければいけません。そういう意味では、作者の視点だけでなく、プロデューサー的な視点が必要で、作品作りと一緒に編集もやるようなものではないでしょうか。
二つの作品が並んだ時に、どちらかがもう一方に寄りかかってはいけないし、どちらも作品として成り立つ新しい作品を作りたいです。

田丸:ハードルを上げられてしまいましたね。

一同:(笑)

──それでは最後の質問です。今回のコラボによって、今後、作品に取り組む姿勢で変化がありそうなことはありましたか?

田丸:今回、日本画の制作プロセスや日本画の根本に通ずるお話を聞けました。それらを知ることによって、作品に深みが出るといいなと思います。

神野:日展の作品を鑑賞して、「絵画は世界の見え方を表現しているな」と感じました。
スナップ写真のように実際の風景を撮るのと違い、同じ風景でも、光の具合をどのくらい強く出すか、影をどのくらい強く出すかと言う部分に、作者の世界の見え方が表れています。

日展展示作品に、燕がいる街の絵があったのですが、その絵のすごくいい空のブルーを観て、「これはどんな空なんだろう?」と考えてしまいました。暁なのか、すべて暮れた夜の前なのか。その人が実際に見た風景に、その人が見たというフィルターがしっかり掛かっていて、どう感じたか、どう見たかということがそれぞれの絵に表れているんです。
今回、世界の見方の方法がたくさんストックできたので、俳句作品の幅につながればいいなと思いました。

木村:私は肩書が一つではなく、本屋で働いたり、コーディネートしたり、エッセイや書評を書いたりしています。全てに共通しているのが文章に関連することであるということと、文章と人をつなぐことが好きでやってきているということです。自分の表現したいことがあるというよりは、「私が書くことによって、この作品が誰かのところに届くか?」ということを意識してきました。
今回初めて、書という自分の幼いころから最も近くにあったものを題材に書きます。ここまで実体験を通して書くのも初めてなので、自分の核に触れる作業をこれからしていくのかなと思っています。
私は今35歳で、祖母が夫を亡くして書の世界に入ったのも35歳でした。それが運命的に感じられ、大きなきっかけを貰った気がします。
今回のエッセイに取り組むにあたって、今までやってきたことと、これからやっていきたいことと、願わくば「祖母が読んで何を思うか」まで考えちゃいましたけど、そんなクオリティのものを目指したいです。

佐藤:はじめにも触れましたが、工芸作品は多種多様な「素材」と「技術」で成り立っています。俳句も「素材の言葉」と「言葉の技術」で成り立っていますので、共通するなと思いました。完結した一作品ですが、謎を孕んでいて、鑑賞者との対話によって作品が完成するようなところも、俳句と似ています。これは、工芸についてもっと知りたいぞ、と思いました。
絵画や写真を見るのは好きで、たとえばカミーユ・コローが好きとか、アッジェが好きと言ったりしてきたのですが、今生きている作家、それも日本で工芸作品を作っている人では、どんな人がいて、どういう作品が新しいのか、恥ずかしながら知りませんでした。作家同士がお互いに最前線の表現に興味を持ち、別ジャンルのファンになることで、これからは作家同士でも、新しいものをつくっていける可能性があるんじゃないかという気がします。今回、日展というきっかけをいただけて、本当によかったです。
今から作品を書かせていただく中西秀典さんの染物の作品のほかに、中市後達夫さんのもりもりとした森のような陶器の作品、長尾武美さんの豆の莢をモチーフにした木の作品などが強く印象に残っています。これからの作品が楽しみです。

文月:日展の作品を一点一点観ていくうちに、彫刻は多くのイメージを限定していくことで成立する表現であることが分かりました。絵画の場合、人物の他に背景を描いたり、他のモチーフを置いて関係性を見せることができますが、彫刻は原則的にはそれが難しい。そこが詩と似ています。どちらも、敢えて描かない、説明しないということによって、読者に気づかせる、読者が自ら発見していく形式だと思います。
整った作品を作るのは案外簡単です。読んでいて気持ちの良い文章を書くのは、おそらく技術さえ付けば誰にでもできることでしょう。彫刻も整えた部分と、敢えて均衡を崩す部分をつくることで作品の魅力が出てくるのかなと感じました。詩でも、敢えてリズムを崩したり、違和感のある部分を作ることがあり、表現として通じていると思います。
整った作品より、彫刻作品とぶつけ合うことによって新鮮な印象が表れる作品を書きたいと思っています。どんな詩が出来上がるのかとても楽しみです。

──皆さん、ありがとうございました。